2010年03月19日

ミニシアターに明日はない!!

 アガサ・クリスティ原作のミステリー『そして誰もいなくなった』に引っ掛けて言うならば、
アート系のミニシアターを支える観客が近い将来に「そして観客はいなくなった」という状
況になることは決して悲観的な現実ではなく、実にリアルな現実として私たち映画館=興行
側の頭を悩ませている。

 1980年代にアート系の映画を上映するミニシアターと呼ばれる興行形態の映画館が乱立
し、狂奔した傷跡が今、その傷口をぽっかりと大きく開こうとしているかのようである。ミニシア
ターブームを支えたシネフィルと呼ばれた人種は絶滅したかのように貴重な存在となりつつあ
るし(かくゆう私もそうであったが3度の食事代を削ってでも映画を観て映画館を渡り歩いたもの
である)、「マリ・クレール」の女性誌に誘われるかのように映画館にお洒落に通っていた若い
OLたちも働くことにでも疲れ果て、年1~2度、メジャーの映画に行くぐらいになったかのように
姿を消しつつある。正に映画興行界もシルバー産業となっている。そうしたシルバー世代を対象
とした映画でのみ興行的に支えられているという状況は近視眼的に見ると確かに有難いことでは
あるのだが遠望的に見ると映画を見るという習慣を持つ次世代の若者が育つことがなく、将来的
には絶望感を抱かざるを得ない。アート系の映画を見る若者たちが映画以外のどこにその興味の
矛先を向け、群れているのかは皆目見当がつかない。数多くのミニシアターや配給会社が乱立し、
私たちは送り出される数多くの作品の商品としての消費のスピードに追いつけず、立ち眩み、戸
惑うばかりである。東京のミニシアターも含め、特に地方のミニシアターは今後10年の間に数多く
がその姿を消すかもしれないというリアルな現実がある。そんな中、今のアート系の映画に求めら
れるもので一番欠けているものは「飢餓感」ではないだろうかと思いを馳せ、全てのミニシアターが
その姿を地上から消す荒野のような風景を思い浮かべ、その荒野に新たに立ち上がるミニシアター
が来るべきアート系ミニシアターの形ではないかと妄想してみたりもする。見たいと思ったときには、
「そしてミニシアターはなくなった」という状況になり、その時に初めてその価値に気づくのかもしれ
ないと・・・・。

 ハリウッドの黄金時代が過ぎ去り、ハリウッド映画が凋落しつつある中、不死鳥にように蘇った
アメリカン・ニューシネマの『俺たちに明日はない』のボニーとクライドの二人のようにミニシアター
もその死に向かって「ミニシアターには明日はない」とばかりに走り続けるしかないのだろうか。
それとも同じくアメリカン・ニューシネマの『明日に向かって撃て!』のサンダース・キッドとブッチ・
キャシディように未来に向けて何かを撃ち(=発信)し続けなくてはならないのだろうか。その答え
を見つけるのは並大抵のことではないように思える。現代の情報の渦に翻弄され、その触角をへ
し折られたかのように見える(実はそうではないと信じたい)若者たちに映画という20世紀が産み
落とした最大の発明(=文化)を私たちは継承し得るのかを模索せねばならないと日々思考し続け
るのだがいつも暗く深い落とし穴に放り込まれたかのような暗闇の中で手探りで歩まなくてはならず、
その確かな解答というか方法が私にとって最大のミステリーなのである。それは映画を単なる興行
という経済活動ということのみ還元するのではない、文化的な活動という側面をも押し出した何らの
施策を私たちは考えていかなくてならない。それは<映画製作者⇒配給会社⇒映画館⇒映画マスコミ
⇒観客>という一方通行の流れではない<映画製作者⇔配給会社⇔映画館⇔映画マスコミ⇔観客>
という相互に深くコミットした形を模索しなくてはならないだろう。そして一番重要なのは映画館⇔観客の
パイプであることは確かであろう。たかが映画・・・されど映画である。
Posted by 松虫リンリン at 16:47│Comments(0)TrackBack(0)映画

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